過去の生産車種
第二次世界大戦前・大戦中の車種
- S/SS/SSK/SSKL 通称Sシリーズ。1927年、前身のKシリーズをいっそうスポーティにしたモデル「S」(SはSport(シュポルト)の略)が登場。設計はフェルディナント・ポルシェである。前身のKシリーズのフレームにキックダウンをつけることで低重心化し、エンジン位置も調整したもので、市販車であるがそのままレース出場すら可能な、文字通りのスーパースポーツカーである。Sシリーズはエンジン排気量・ホイールベースの改良により、SS/SSKへと進化。SSKに至っては、1920年代の市販車でありながら、最高速192km/hを出すことが可能であったという。究極的には、エンジンを当時としては例のない300馬力まで強化し、大幅にストリップダウンされて軽量化したSSKLとなり、最高速は235km/hに達したが、これはレース専用であり、僅か数台が製造されただけであるとされる。SSKLは、1931年には、伝統のミッレ・ミリアを制したことでも名高い。Sシリーズは、名手ルドルフ・カラツィオラの活躍や、その生産台数の少なさもあり、現在まで伝説のマシーンとして記憶されている。
- 170H
- 540K - ホルヒ・853と互角に競った、最高のパーソナルカーである。当時、どの自動車会社もスペシャリティモデルはすべてコーチワークをコーチビルダーに任せていたが先代の500K同様、自社でコーチワークを行っている。だがその完成度はコーチビルダーに勝るとも劣らない程であった。又、映画サウンド・オブ・ミュージックでもこれのカブリオレBが使用されている。
- 260D - 世界で初めてディーゼルエンジンを搭載・市販された乗用車である。
- 770(770K) - 通称「グローサー・メルセデス」と呼ばれている直列8気筒のこのモデルはダイムラー・ベンツのフラッグシップモデルである。主な顧客は世界の王侯貴族や富豪層、そしてヒトラーを始めとする国家社会主義ドイツ労働者党の高官達である。モデルは初代と2代目がある。国家社会主義ドイツ労働者党では戦勝地でのパレードで国力を見せつけるために使用された、まさにグローサーの名に恥じない偉大なモデルである。このグローサーの初代モデルはかつて大日本帝國の皇室で昭和天皇の御料車として15年以上使用され、シュトゥットガルトのメルセデスベンツミュージアムで展示されている。同じ770でもヒトラーら国家社会主義ドイツ労働者党の高官達のものは、当時のダイムラーベンツの技術部長であったフェルディナント・ポルシェ開発によるスーパーチャージャー(Kompressor )を追加したものであり、特にヒトラーのものはレーサーのルドルフ・カラツィオラにより納車された。
大戦後
- 300SL - スポーツクーペ/ロードスター。世界初のガソリン直噴エンジン搭載車。クーペはガルウイングドアが特徴。
- 190E(W201) - 長らく小型車を持たなかったメルセデスが1982年に発表、業界を驚かせた。アメリカのCAFE対策で生まれた車。名称も本来メルセデスは排気量を示す「190」がそのまま車名になってしまい、2.3リットルモデルは、190E2.3等とCクラス出現までは変則的な名称となってしまった。デザインは、社内デザイナーのブルーノ・サッコの手による。ブレーメン工場で初めて生産された。小型化するために世界初のマルチリンク(ポルシェ・928のバイザッハアクスルが先とする説もある)。本来の目的はラリー参戦とも、アメリカ合衆国で販売する際のメーカーの総排気量規制の結果とも言われる(ラリー参戦については実現しなかったがツーリングカーレースには参戦)。コスワースが開発に協力した高性能版『2.3-16』後の『2.5-16』は特に有名で4ドアセダンの高性能モデルの魁となった。オリジナルの2リットル版の他に2.3/2.6リットルの直6や2.5リットルのディーゼルを搭載した車両もあったが、ボディタイプは上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)と異なり4ドアセダンのみだった。バブル経済時代の日本では5ナンバーサイズに収まることから「小ベンツ」と呼ばれもっとも街中で見かけるメルセデスと言うことで揶揄された。しかしサスペンション等、上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)との共通部品が多く、いわゆるダイムラー・ベンツとクライスラーの合併以前の「Das Besten order Nicht(最善か、無か)」時代のモデルである。