歴史

成り立ち

ベンツのマークからわかる様にもともとはヘリコプターのプロペラを作っていた。 1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。 1886年に世界初の自動車として初の特許を取得している。しかし当時は、自動車の有用性に気が付く者は無く、当時の交通の主役であった「馬を怖がらせる邪魔者」的な存在であった。

そうした中、カール・ベンツの夫人であるベルタ・ベンツは、夫の発明がすばらしいものであるということを何とか世間に認めてもらいたいと考え、あるアイデアを実行に移す。

1888年8月5日、夫カールがまだ寝ている間に、二人の息子と連れ立ち自動車に乗り、マンハイムの町を出発した。当時の道は、当然舗装されたものではなく、また空気タイヤもまだ自転車用が発明されたばかりだったため、自動車用は存在せず、その過酷さは余りあるものだった。さらには、ガソリンスタンドなども無いため、ガソリンを薬局で購入するなどして旅行を続けた。やがて陽の暮れる頃、106km離れたプフォルツハイムの街に到着する。

疲れ果てたベルタと息子たち、そして自動車の回りに町中の人たちが集まり、ベルタたちに惜しみない賞賛の声が送られた。この速度(距離と時間)は、当時の馬車で10頭以上の馬を乗り換えなければならないほどのものだったのである。これらの成功により、ベルタの当初の目論見は達せられ、その後カールの発明は広く知られるようになった。同時に、ベルタは世界初の女性ドライバーであり、世界初の自動車長距離旅行として歴史に名を残すことになる。

1920年代より、当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。

その後、ベンツと殆ど同時期にゴットリープ・ダイムラーが創設したダイムラーと1926年に合併する。

ナチスへの協力

ヒトラー専用車だったメルセデス・ベンツ770Kナチスの創設者でドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーは、政権獲得後の1933年2月11日、国際ベルリンモーターショーにおける開会宣言で新時代の交通機関である自動車と自動車道路の建設に注目し、モータリゼーションを加速することが国家の防衛力を高めることになると説いた。これ以降政府は自動車税の撤廃、アウトバーン建設、国有鉄道にトラック輸送部門の新設等の政策を打ち出した。

ナチスは、党内に国家社会主義自動車隊(NSKK)を設け、運転技能者育成を始める。ベンツは運転教官の派遣、教習車の無償提供、国家社会主義ドイツ労働者党機関への役員の派遣等で積極的に対応し、国家社会主義ドイツ労働者党の強力なバックアップにより、グランプリ・レース、ル・マン24時間やミッレミリアなどのレースで同じくバックアップを受けるアウトウニオンなどとともに活躍した。

また1935年ドイツ再軍備宣言以降のドイツの軍備拡張を支える企業として、戦闘機のエンジンや軍用車両などの生産を行なった。1939年9月に勃発した第二次世界大戦中は軍需生産に集中して、連合軍の爆撃の標的になるなどして、ドイツの敗戦までの約6年間に壊滅的な損害を受ける。また、大戦中にユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として使用した事から戦後多額の賠償を行うことになった。

名車

Mクラスを改造したパパモビル(謁見用教皇車)に乗るベネディクト16世その後1950年代以降のドイツ経済の回復に合わせるように、ミッレ・ミリアやル・マン24時間レースで大活躍した300SLRや、石原裕次郎や力道山の愛車として有名な300SLなどの数々の名車を送り出す。

その後も1960年代後半に発売されたミディアム・クラス(現在のEクラス)や、'71年にデビューした3代目のSLクラス(R107/C107)、「サッコプレート」で有名なブルーノ・サッコの手によるW124(このときからコンパクトクラスが「E」クラスと呼ばれる)、また、ドイツのヘルムート・コール首相の専用車であったW126(クーペの「SEC」は「C126」)、そしてアメリカのCAFE対策で生まれたW201(通称190E / 現行W204Cクラスにつながる)、などのヒット作を市場に送り出し、高級車市場での存在感を持ち続けている。

またこれらのモデルのシートは、世界でも唯一の高品質な構造と評されており、非常に快適なことで知られる。下からコイルスプリング、網状のスプリング、ウレタン製ダンパー、椰子繊維と馬の毛で作った通気性の良いクッション、ウール製の表皮(ベロア、ファブリック)で構成され十分なサイズと調整機能(電動調整式が多い)があり、滑らず疲れにくく、耐久性も著しく高かった。しかし最近の車種では後述のようにコストダウンの影響で、品質の低下が見られる。

安全性

1980年以降、オプション装備としてのエアバッグ設定で先行するなど、自動車の安全向上に関わる実績がある。またジグザグ形状のゲート式ATシフトレバー(現在特許が切れて、多くの自動車メーカーにより模倣されている)、衝撃吸収三叉式構造ボディ、シートベルトテンショナー、レインランネル(雨水を窓に流さないボディ構造)、凹凸のあるテールランプ、衝突時に体を守るステアリングコラムとブレーキペダル、横滑り防止装置、グリップ式ドアハンドル、本体強度、取り付け強度共に高い独自のシート、伸縮しながら窓を拭くワイパー、2速発進及び2速後退機能つきAT、安全性を徹底追求したシャシ、アウトバーンにおける高速度での事故に対応した車体剛性など等枚挙に暇がないほどである。

コストダウンとその弊害

かつては「Das Beste oder nichts(最善か、無か)」の企業スローガンの元、「全ての形に理由がある」と言われるほど質実剛健[要出典]であり良い意味で過剰性能・品質であったのだが1990年代中盤以降の利益率向上を目指したコストダウンによって、市場に迎合し単なる高額ブランド商品的な製品が多く見られるようになった。

特に1997年に発売されたメルセデス・ベンツとして初のアメリカ工場(アラバマ州)で生産されたMLクラスは、設計の悪さと品質の低さで「アラバマ・メルセデス」と酷評され、全世界におけるブランドイメージを大きく落とすことに一役買う結果になってしまった。また、先代Sクラス(W220)及び先代Eクラス(W210)が登場した際、古くからのメルセデス・ユーザーが代替した直後、乗り味や質感の違いに先々代の新車(Sクラス:W140、Eクラス:W124)への交換を要求するなどの事態が発生した。

これらのことにより、1990年代後半では「Das Beste oder nichts(最善か、無か)」時代に発売された車種が、その信頼感から、一時的に中古車市場で品薄となり、装備や程度の良いものが新型車よりも高値となるなどの事例も発生した。

これらの問題に対して、メルセデス・ベンツは、各車種のイヤーモデルごとに品質の改善を進め、1998年デビューの後期型Cクラス(W202)や1999年デビューの後期型Eクラス(W210)での品質改善、2000年代以降のモデルであるEクラスやSLクラス、SLKクラスなどでの初期設計からの品質改善などをすすめた。

また、以前と比べて補器類やゴム部品などの交換耐用年数も大幅に伸びて、高年式になるとメンテナンスに手間と金額が掛かる車ではなくなった。特に2005年以降のイヤーモデルでは、新Sクラス(W221)の発売や最販車種であるEクラスの各種リコールによる問題部分の変更がすすみ、品質の安定と故障率の低下を実現している。

しかし、近年のコストダウンの最たる物はシート構造である。従前の椰子(シュロ)のクッション+金属ばね(以前のコイルばね、その後のSばね)を発泡ウレタンに変更してから、長年のユーザーから、明らかに快適性が劣るとの評価が多い。しかし、旧来のシートはバウンシングの際の座面の上下動が大きく、ドライビングポジション(特に各ペダルとの位置関係)が一定しない短所もあり、高エネルギー時のホールディング能力や、プリテンショナー付きシートベルトとの親和性が高い点など、衝突を含めた安全性では新世代のシートが勝っている。

なお、2010年7月からは、「最善か、無か」のキャッチコピーを再び前面に押し出した広告戦略を世界的に展開している。

リコール

1997年に登場したAクラスを使い、スウェーデンの自動車雑誌「テクニッケンワールト」がエルクテスト(ヘラジカが突然進路上に現れたときそれを素早く回避するという設定で行う運転操作)を実施したところ横転してしまい、これが「メルセデス・ベンツにあるまじき失態」と世界中のメディアで報じられることになった。その後メルセデス・ベンツは発売した全てのAクラスをリコールし、サスペンションの再調整やESPを装着するなどの改修を実施したものの、この事件を世界中が取り上げたことと、同時期に発売されたMLクラスが、これもまた設計の悪さと品質の低さで酷評されたことで、大きく評価を下げることになった。

さらに、2004年から2005年にかけて発生した、ボッシュ製SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度に渡るリコールは、主力車種であるEクラスと看板車種のSLクラスで発生し、安全を最も重要なブランドイメージとしている、「メルセデス・ベンツ」にとって大きな痛手となり、経営を極度に悪化させる原因となった。

このSBCは、雨天時などの走行でブレーキディスクが濡れ、通常であれば制動力を損じてしまうようなケースでも、意図的にブレーキバットをブレーキローターに僅かに接触させ、摩擦熱でディスクを乾かしたり(鉄道車両では、「耐雪ブレーキ」などで以前から使われている制御)、アクセルペダルを放した瞬間、ブレーキングにそなえてブレーキバッドをブレーキローターに接触寸前まで近づけ、タイムラグを短縮するなど、ブレーキの応答性と能力を高めるものである。しかしそのセイフティープロセスの要であるセンサー類の不具合によりSBCが作動せず、通常の約5倍の踏力を必要とする「バックアップモード」に入るというものであった。

なお、2005年8月以降に発売されたEクラス、SLクラスでは各種リコール対応により十分な信頼性の確保が行われたが、イメージ的な判断であったのか、マイナーチェンジ後はこの装備がなくなっている。この年のアメリカでの信頼性調査では、メルセデス・ベンツは37ブランド中29位、ジャーマン・オートモービル・グラブの顧客満足度調査では、33ブランドのなかで最下位だった。